2009年09月26日

本日からura chihiroさんの展示開始

Image836.jpg手作りの切り絵による額縁が個性的。
エイズケアセンターや山岳民族の子供が染めたポストカードなども150円〜販売しています。
初日の今日、既に何点か売れました。
売上は経費を除いて、施設に寄附されるそうです。

可愛いらしい展示です。10月30日まで。
ご本人は毎週水曜にいらっしゃるとのこと。
posted by 赤坂ポートカフェ at 22:55 on 2009年09月26日
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2009年09月20日

昨日開催のハーブ教室

Image815.jpgハーブソルト作りについて学びました。
手前は自作した持ち帰り用のハーブソルト。
ハーブソルトを使ったスープとハーブティーもいただきました。
posted by 赤坂ポートカフェ at 22:06 on 2009年09月20日
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言葉は生き物で、魂が宿っているという考えがありますが、谷川さんは、言葉に対してそういう感覚をお持ちですか?【イベント報告】谷川俊太郎と詩について話そう! 質問L

私は祖母から、「言葉は生き物で、魂が宿っているものだから、たとえば誰かに『死ね』と言ったら、そういう魂をあげてることになるんだよ」というように教えられてきました。だから今でも、人と喧嘩して、つい傷つけるようなことを言ってしまったときには、そういうものを相手にぶつけてしまったんだ、という気持ちになるし、逆に「ありがとう」と心から言われたときには、「あ、今もらったんだ」という気持ちになったりします。谷川さんは、言葉に対してそういう感覚をお持ちですか?

(以下 谷川):ぼくはそういう感覚を持ちたいし、もちろん頭では分かっているんですよ。日本に昔から「言霊」という言い方があるみたいに、言語には魂が宿っているといいますよね。

そういうことを感じることもあるし、たとえば宮澤賢治の詩を読んで感動するときには、やっぱり文字面じゃなくて、言葉が持っている魂みたいなものに感動しているんだ、というふうに思います。でも、やはり詩をずーっと書き続けていると、もっと技術的というか、言葉を組み立てて詩を作っているというところがちょっと強いんですよね、自分の詩の場合。

ただ、時々書いていて、感動することがあるんですよ、自分の詩に(笑)。これはやっぱり、言霊とかそういうものなんじゃないかと思うんですよね。自分を超えたものが言語にあると。自己表現ではなくて、もっと自分を超えたところに、言語のもとがあるんじゃないかと。

あなたのおばあちゃんのおっしゃっていることは、すごく大事な生き方だと思いますよ。携帯メールなんかやっていると、なかなかそこに魂があるなんて思えないじゃないですか。だからそういう考え方は、国語教育なんかでも必要だと思うんだけれど。ただ、あんまり変な精神主義になっちゃうとまたよくないから、言い方に気をつけなきゃいけないと思うけれどね。

おばあちゃんはおいくつ?

質問者:御年78です。

谷川:おれとほとんど同じ年じゃない。(会場笑い)
えらいねえ、おれそんな立派なこと言えないもんなあ(笑)。

※こちらの記事は6月23日に赤坂港カフェで開催されたイベント「谷川俊太郎と詩について話そう!」の一部を谷川俊太郎さんに了承をいただき掲載しています。転載不可です。(構成:川口恵子)
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posted by 赤坂ポートカフェ at 00:00 on 2009年09月20日
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2009年09月19日

赤坂氷川神社お祭り

Image819.jpg外国人の人が沢山盆踊りに参加。アメリカ大使館が近い場所柄でしょうか。
赤坂の有名店が屋台出してたり賑わってます。鰻の屋台とか色々珍しいものも。
posted by 赤坂ポートカフェ at 19:14 on 2009年09月19日
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初期のころと比べて、今はどちらかというとしゃべるように書いているように思うんですが、それは意図的にされていますか?【イベント報告】谷川俊太郎と詩について話そう! 質問K

今回谷川さんの詩を、ずっと時系列で読んでみて、涙が出てしまったんですが、言語を使って書いている詩という表現なのに、どんどん涙がプリミティブなもの、音楽を聴いて出るような涙に変わっていきました。初期のころと比べて、今はどちらかというとしゃべるように書いているように思うんですが、それは意図的にされていますか?

谷川俊太郎(以下 谷川):自然に、ですね。そういうふうに読んでもらえると、なんか、すごい理想的な読者だと思うんだけれど(笑)。

前に、大江健三郎さんが、アメリカに留学するプログラムに僕を推薦してくれたことがあって、そのお礼の電話をしたことがあったんです。そうしたら、大江さんに「アメリカに滞在していらっしゃる間に、どういう詩集をお書きになる計画ですか?」って言われたのね。そのときに、愕然としたの、自分にはなんの計画もない!と。(会場笑い)

小説家はやっぱり計画するんですね。だから大江さんは、「今度どこそこへ行ったら、その間にこういう長編を書こう」みたいなことを持って、行くんだと思うんですね。でも、僕の場合はそういう計画は一切なくて、自分の詩の移り変わりも、ほとんど完全に意識下で移り変わったものを後追いしているだけだと思います。

つまり、詩がどこから生まれるか、というと、僕は絶対に左脳ではないと思ってるわけね。まあ、左脳も関与するんだけれど、基本的には右脳であると。要するに、詩というのは意識から生まれるのではなくて、意識下から生まれるのだと。これは河合隼雄さんなんかの影響が強いんですけれどね。

潜在意識といってもいいんだけれど、言語ではないもやもや、どろどろみたいなものが、人間の意識下にある。その無意識が、いろいろな人間関係を難しくしたりするわけじゃないですか。詩は、散文と違って、意識からではなくて、そういう意識下からなんかぽこっと出てくる。僕は「お風呂の中でおならするみたいに、泡がぽこっと出てくるいみたいに、詩が生まれる」という比喩を使うんだけれども、そういうふうに出てきた言葉というのは、理性が働いていたら、全然出てこないはずの言葉なの。

だから時々、「えっ、なんで俺、こんな言葉書けたの?」みたいなことがあるわけです。そういうのは多分、意識が働かないところから生まれてきた言葉で、そういうものは、良い詩になることが多いのね。

たとえば、僕の『定義』という詩集は、「定義する」という方法で一貫して書いているんですけれども、あれも最初はなんだかよくわからないまま、ある書き方で書き始めてしまうんですね。それで、「なんかこの書き方でもっと書けそうだな」みたいにして書き続けて、最初は、全然計画していなかったんです。まず、具体的な作品が、よくわからないところから生まれてきて、それを後追いで1冊の本にする、みたいなね。

だから今、あなたがおっしゃってくれたような、詩の変化みたいなものも、あとになって説明することは可能なんだけれども、自分では意識してはいないですね。

※こちらの記事は6月23日に赤坂港カフェで開催されたイベント「谷川俊太郎と詩について話そう!」の一部を谷川俊太郎さんに了承をいただき掲載しています。転載不可です。(構成:川口恵子)

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posted by 赤坂ポートカフェ at 00:00 on 2009年09月19日
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