2009年08月31日

詩のほかにも、随筆を書かれたり絵本を書かれたり、翻訳されたり、言葉を使ったお仕事をたくさんされていますが、なぜ、やっぱり自分は詩人だ、詩で食べていこうと思われたんですか?【イベント報告】谷川俊太郎と詩について話そう! 質問F

谷川俊太郎(以下 谷川):一番向いていたからでしょうね。自分では初め、向いているとは全然思っていなかったんだけれど、友達に誘われて、書き始めてみたら、それらしきものがわりと次から次へと書けるんですよね。

でもその頃はまだ詩で食っていこう、なんて思っていなくて、できたら工業デザインをやりたいとか思っていたんです。でも、そういう教育も受けていなかったし、原稿の注文をこなしているうちに、だんだん、月に二万円とかお金が入ってくるわけです。それでずるずるずるずる書いていって。

でも、詩だけ書いていたら絶対に食えない。だから、ほかの注文が来ると、自分ができるものは全部引き受けていましたね。それでなんか、仕事の幅が広がってきた、というのがひとつあります。

それからもうひとつは、詩を書き始めて、現代詩壇みたいなものに少し触るようになって、現代詩壇というのはすごく閉鎖的だという感じがしたんですね。みんな行分けの難しい、七面倒くさいものばかり書いていて、詩というものは、もっと一般の人が楽しめるようなものにならなきゃおかしいんじゃないか、と思って。

ぼく、詩を書き始めて間もないころに、「世界へ!」というアジテーションを書いたことがあるのね、エッセイで。もっと現代詩の人たちは、ストリップショーの台本とか、そういうものも書けよ、みたいな。

だから、そういう意識と両方あって、いろいろなジャンルに手を出したんです。でも、自分ができないジャンルというのはやってみてすぐ気がつくから。たとえば、小説は僕は全然できないというのは割と早くからわかっていたので、小説は書かなかったですね。

質問者:詩で何かを表現していく中で、「どれくらい自分を出すか」「どれくらいこれは世間の評価を受けるか」というせめぎあいみたいなものはあったんでしょうか。

谷川:自分はないんですよ、そういう意味では。つまりね、日本の現代詩人の多くは、自分の恨みつらみとか、自分の中にある、何かに反対したい気持ちとか、文句付けたい気持ちとかが創作の基本になっている人が多いのね。

だけど、僕は全然そういうものがないくらい、幸運な生まれ育ちなんですよ。自分を主張しないでも生きていけるような生まれ育ちで、一番基本にあるのは、母親に100パーセント愛されたという確信なんですね。そのおかげで僕はすごく生きやすいんだけれども。そうやって自分を出す必要がなかったから、むしろ他人を楽しませたいという方向に行ったんだと思う。いってみれば、その他人を楽しませたい、というのが自分なんですよ。

質問者:そうすると、やっぱり書いていらっしゃる詩も、他人を喜ばせて、そのフィードバックを受けながら、だんだんと、世の中に受け入れられるもの、楽しませるものへと成長というか、進化してきたんですね。

谷川:まあ、簡単に言うとそういうことですね。だから、そういうものが受け入れられなかったら、やっぱり違う書き方をせざるを得なかったんだろうけれども。

僕の中には結構、俗な部分があるんですよ。だからわりと、メディアに乗りやすかったんだと思うの。つまり、現代詩人の先端的な人は、絶対恥ずかしくて書けないようなことを、わりとへっちゃらで書けちゃうような人なんです、ぼくは。だけど、相田みつをにはなりたくないの。ならない、なれない。(会場笑い)

※こちらの記事は6月23日に赤坂港カフェで開催されたイベント「谷川俊太郎と詩について話そう!」の一部を谷川俊太郎さんに了承をいただき掲載しています。転載不可です。(構成:川口恵子)

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2009年08月30日

「レモンの搾りかすみたいになってしまったことがある」とおっしゃっていましたが、その状態をどうやって克服されたのでしょうか。【イベント報告】谷川俊太郎と詩について話そう! 質問E

谷川俊太郎(以下 谷川):後からの説明になってしまうんだけれど、レモンの搾りかすだと思っていたときは、言葉は自分の中から生まれている、自分から湧いてきているものだと思っていたのね。言葉は自分の中にあって、それを自分が組み合わせて詩を書いているのだと。やっぱり自己表現的なものにとらわれていたんです。

ちょうどそのころ、『ことばあそびうた』という詩集を書き始めていたんだけれど、それと並行してマザー・グースの翻訳なんかもしていたんですね。それをやっていくうちに、詩というのは、自己表現は当然あるんだけれど、言葉は自分の中にあるのではなくて、自分の外にものすごい豊かな日本語の広大な世界がある、その世界に自分が入っていって、言葉を拾い上げて組み合わせていく、という書き方のほうが、詩としていいんじゃないか、というふうにだんだん思えてきたのね。

それからは、言葉は外にあるんだから、自分を絞らなくてもいいんだ、それを発見しに出ていけばいいんだ、と思うようになりましたね。

質問者:それは、なにかきっかけがあったんですか。

谷川:いや、そんなに劇的なことはなくて(笑)。
「ことばあそびうた」も、現代詩は音韻を無視してるから、もうちょっと声に出して楽しい詩を書いたらどうかなあ、と思っているときに、ちょうど「母の友」という福音館の雑誌から、詩の連載をしませんか、という話がきたんです。七五調で書いてももう古臭くなってしまうから、英米詩にあるような押韻ということを、日本の現代詩でやってみたらどうかしら、とひらめいて。

だから理屈で始まっているのではなくて、実作で常に始まっているんです。それで、実作を始めるときはわりと意識していないんですよね。ある程度ひとつのスタイルで書いているうちに、「ああ、自分はこういうことを考えていて、こういうことをやりたいんだ」とわかってくる…みたいな形で、変化してきたんだと思います。

質問者:じゃあ、書くのをやめなかったから、戻ってきてしまった、ということですね。

谷川:そうですね、何しろ書かなかったら妻子を養えないわけだから(笑)、とにかくがむしゃらに書いていて、だから自分がスランプだっていうことに気がつかなかったんだと思います。無理矢理でも書いていましたから。

本当に純粋な現代詩ばかり書いていたら、「ひどい詩になっちゃった!」みたいなことに気がついたと思うんだけれど、僕はほら、女性週刊誌とかいろいろなメディアに書いていたから、ちょっとそこのところに気がつかずにすんでいたんですね。

だから今読むと、「あ、このへんすごいエネルギー落ちてるな」とかわかるんだけれど、当時はがむしゃらに前へ前へと書いていました。

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2009年08月29日

写真や音楽がお好きだそうですが、詩を書くときに、そういったものからインスピレーションやヒントを得ることはありますか?【イベント報告】谷川俊太郎と詩について話そう! 質問D

谷川俊太郎(以下 谷川):あんまりたくさんではないんですが、ありますね。
僕はすごく音楽が好きで、若いころから音楽がなきゃ生きていけない、と思っていた人なんですよ。

音楽って言語と全然違うわけじゃない? 意味がないわけだし。それなのにすごく人の心を動かせるわけじゃない。だから、僕にとっては、音楽みたいに人を感動させる詩を書けるのが理想なんですよね。

たとえば直接、「モーツァルトのK何番を聞いてこれを書きました」みたいなことはあんまりないんだけれど、でもこの前ぼくは、中川俊郎という人のCMの音楽を聴いていて、詩が十何編か書けたことがありました。そのときは、やっぱり時には聞きながら書いていましたね。聞きながら書くっていうことは、ほとんどないんだけれど。そういうことがまれにあります。

質問者:何かを聞くことでイメージが膨らんできたり、書きたいテーマが浮かんできたりするんですか?

谷川:テーマじゃなくて、イメージでもなくて…。なんなんだろう、言葉と言葉の意外なつながりが、音楽っぽく出てくるといえばいいのかなあ。

たとえば音楽を聴いていると、なんかある一行が突然出てきちゃうことがある。その一行が出てきたおかげで次の一行が出てくる、みたいなね。音符と音符のつながりと、言葉と言葉のつながりというのは相当違うはずなんですよね。言葉と言葉は意味でつながなければならないから。

だけど、音楽みたいに、音符と音符のつながりみたいに、言葉が出てくることがある。それは、言葉のつながりとしてはわかりにくいんです、曖昧だし。だけど詩としては、それは結構いい表現になっている、ということはありますね。

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2009年08月28日

谷川さんが書くうえで、気持ちの面で大事にしていることや、ポリシーはありますか?【イベント報告】谷川俊太郎と詩について話そう! 質問C

谷川俊太郎(以下 谷川):むろん、受け狙いですよ(笑)。 他人にどう受け取られるか、ということが自分としては一番大事なんですね。

表現に関しては、もちろん自分の好みというのはあるから、それはどうしても出てしまいますよね。だけど、「ポリシー」と言われるとどうなのかなあ…。

それはちょっと具体的にこうこうこうだから、というふうには言えないんですが、たとえば二つの言葉があったときにどちらをとるか、ということについては、はっきりした感覚があります。そういう自分なりの感覚を持っている、ということが、自分にとっては大事だと思っていて、「この言葉はこういうつながりでは絶対使えない」という基準は自分の中にありますね。

つまり、具体的に、何か書いているときの、文脈の中での言葉の選び方、というところに自分が出てくるわけだから、そこのところは一般論として言えないですね。

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2009年08月27日

「詩を書くモチベーションはお金だ」とおっしゃっていましたが、ということは、書くときに読者や依頼主が求めるものを結構意識されているのでしょうか。【イベント報告】谷川俊太郎と詩について話そう! 質問B

谷川俊太郎(以下 谷川):ええと、そのレベルで言われるとちょっと違うんですけれどね。
詩を書くときに、たとえば「小学生が読者ですよ」と言われたら、難しい漢字を使わないとか、そういうことはありますが。

誰かが「言語の海に生まれてくる」という言い方をしたけれども、我々がおぎゃーと生まれた瞬間から、まわりの大人たちがしゃべったりしているわけじゃない、赤ん坊に声掛けたりして。

ぼくたちはそういう形で他人の言葉を学んで、真似して、しゃべるようになっていって、話すことや書くことも、全部そうやって覚えてきたわけでしょう?だから、言葉というのは全部他人の言葉なんです、まずはね。その他人の言葉を、自分の経験によって、どういうふうに自分流に定義していくか、というのが、言語の獲得の仕方だと思うんです。

だから、すでに言語の中に他者が内在されていて、自分の中に他人がいる、というのが基本だと思っていて、詩を書くときにも、常に自分の中の読者みたいな他人と、書いている自分とがフィードバックをし続けている、っていう感じなんです。

この間、「STORY」っていう、40代女性がメインターゲットの雑誌から、「40代の女性に向けた詩を書いてください」と言われたんです。そこまで注文されることは普段あまりないんですけれど、そういうときはやっぱり、実際に周りにいる40代の女性のことを考えたりするわけです。

だから、そういう意味で「読者を意識する」ことはあるんですよ。でもそれも、「注文にこたえる」というより、「自分の中にある40代の女性のイメージを書く」わけなんですね。それはたしかに、「STORY」という編集部の依頼にこたえているんだけれども、自分としては、それによって書かされているという意識はないんです。

質問者:僕自身も詩を書いているんですが、最近書いていて、どこまで自分は読み手を狙っているんだろうな、と思うんです。狙っている部分が少ないほうがいいのかな、と思いつつも、絶対ゼロにはできないなと。

谷川:そりゃだって、狙って書くにきまってるじゃない。絶対ウケなきゃ、意味ないんだから。みんなが喜んでくれなきゃ。

質問者:でも、自分の中の言葉を出しても、それが必ずしもウケるわけではないかもしれないですよね。

谷川:そうそう、もちろんそうですね。そこのところの修正が、推敲する場合の、一番主なところなんじゃないかな。

「この言い方はちょっとひとりよがりすぎるから、もう少しこういうふうに修正したらいいんじゃないか」とか、「これはちょっと読者におもねっていて品がないじゃねえか、もうちょっと自分を出しちゃいたい」とか、ぼくも無意識にそういうふうに修正していると思うけれどね。

質問者:一回書いてそのままぱっと出さずに、見直したりするんですか?

谷川:うん、すごい直してる。特にワープロ、コンピューターになってからは。手書きのときは、消して破けちゃったりすると嫌だから、「もういいや」って感じだったんだけれど(会場笑い)、今はもういくらでも消して直せるじゃないですか。

大体僕は締め切りの一か月前くらいにはできていないと気がすまないんですね。それで、残りのひと月間、ほとんど毎日のようにコンピューターあけて手直ししてますね。

これはもう、「よくなる」と信じ込んで直さないとだめなんです、もしかすると悪くしているのかもしれないけれど。その判断も結構難しいんだけれど、自分ではやっぱり、良くなっていると思ってますね。

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